追悼文


今、私は、アマリアと初めて会った時のライブテープを聴きながらペンを走らせている。
傍らの写真集の中のアマリアは、眩しい程の笑顔をたたえ、こちらを見ている。その裏の辛苦に満ちた顔を誰が知ろう。

1988年、リスボン大学に留学中の私は、かつて、アマリアが歌っていた「アデガ・マシャード」という、老舗のファドの店で、彼女が歌うと聞き、その頃伴奏をしてくれていたポルトガルギターのエドガーに頼み込んで会場へもぐりこんだ。

2曲目を歌い終えて彼女が「次の曲は、この前、テレビで、実に見事に、素晴らしい声で、一人の美しい日本の女の子が私のファドを歌うのを聴いたんだけど、その彼女に捧げたいと思う。」と言うやいなや、「ここにきているよ」という聴衆の一言で、私はステージに担ぎ出されてしまった。

初めてアマリアと抱き合ったその時の70に手が届くとは思えない覇気のある顔、声を思い出す。

日本での公演は、1993年が最期になってしまった。その後、歌手生活を引退したという噂と共に、寂しく眠れぬ夜々を過ごしているということを、1970年の大阪万博以来彼女のバックを勤めているポルトガルギターのカルロスから聴き、一目会って、ただ抱き締めるだけでいいからと、彼に無理を言って、今年の2月、風邪をひいてせき込むアマリアに会ったのが最後になってしまった。

別れ際に抱き締めた彼女の体は、私の腕の中で壊れそうだった。これが最後になるかもしれない。そう思うと、アマリアの家のドアを閉めるなり、涙があふれ出た。

「私が死ぬ時、一粒の涙をあなたが流してくれたなら、その涙で私はどれだけ幸せに死んでいけることだろう。」自作の「涙」を歌うあなたの声が、今日の湿った秋風の中に聞こえてくる。

今、ポルトガルで、日本で、世界中で、あなたの死に涙する人達の多さを考えると、アマリア、あなたは、想い出だけを道連れに一人過ごした幾つもの長い夜から解放されて、やっと、幸せになれたのではないだろうか。

肉体を離れて、今あなたは、自由な風になる。前よりもずっと近くにあなたがいるような気がする。



1999年 月田 秀子

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