ポルトガルからの手紙



月田秀子様

 ポルトガル語でお手紙を送る非礼をお許しください。ただ、それには理由があります。
1988年、はじめてあなたのファドを聴きました。多分RTPのカルロス・クルスの番組での事だったと記憶しています。
そして、わたくしにとってそれは素敵な驚きでした。
様々な理由から深く感動し、誇りに思いました。

 ポルトガル人と日本人は十六世紀の鉄砲伝来を通して出会いました。鉄砲を介しての日本デビューが果たして良い始まりだったのかどうかは別ですが…。我々は歴史的にも関係を持っております。しかし、アマリア・ロドリゲスが悠久の歴史を持ち、真の意味で特別な日本文化に深く、そして重要な影響を残したことには驚きました。

 つぎに驚いたのは、あなたがポルトガル人のように、訛りもなく、正しい発音でファドを歌うことでした。最初はまったくポルトガル語を知らず、耳で覚えたポルトガル語でファドを歌っていたと聞き、驚きました。 さらに、東洋的な美しい瞳を持つ日本女性であることを忘れさせてしまうほどのあなたのファドに対する愛情には感動しました。ポルトガル的な、独特な感情表現をもつファドに対するあなたの情熱は感動的です。あなたの喜びに満ちた「Havemos de ir a Vianna」を聴いたときの驚き、そして聴いて楽しかったことを今でも覚えています。

先月12日の「Correio da Manha紙」の記事を通してあなたの音楽家としての活動と社会的な名声を知りました。ポルトガル料理を紹介する優れた活動を含め、あなたの活動と名声が400名もの日本人を月田ファドクラブに集めていること、そして現在まで4枚ものレコードを録音されていることを知りました。
今、それらを聴いてみたい気持ちでいっぱいです。そして、あなたがポルトガルに対して抱いている愛情に、今度は私が恋をしたいと思っています。郵送が簡単なカセットかCDはないでしょうか? 着払いで送っていただければ嬉しいのですが。

  あなたの愛、そして激しく狂おしいほどの情熱は、ラテン的に感じられます。それは取り違えようのないものであり、つける薬の無いものです。よくは知らないのですが、私が想像していた日本人の愛の心理から考えると、とてもファンタスティックな新発見でした。愛はユニバーサルなものだと思いますが、この一般的真理は各々の文化に影響されて変化するものとも思っています。

  あなたの住所はリスボンの日本大使館で教えていただきました。

  私も詩を書きます。そこで、あなたへの敬意を表すものとして、「日本のファド」を作詞して贈ります。そのためにも、あなたの文化的・感情的(心情的)な精神、愛を前にしての日本人のふるまいは、それも身体的だけでなく精神的なものを含め、などを教えてください。それともファドは愛の解に対してユニバーサルなものなのでしょうか。しかし、サウダーデはあなたを含め、私たちポルトガル人だけのものだと思います。

  ポルトガルであなたのことが報じられなくなって随分と経ってしまいました。それをすべき機関の不注意、無関心などは無責任な欠陥だと思います。

  ポルトガルの音楽市場は粗野な英語表現を用いた、我々の音楽文化を全く知らない外国人たちに侵略されています。
そして残念ながらこれら外国人ミュージシャンは多くのファンによって受け入れられています。しかし、幸いなことにポルトガル人たちは、まだ自分たちの歌手やバンドを愛しています。そして、ここには良い音楽を楽しめる空間と設備も揃っています。エキスポの「Parque das Nacoes」はその好例で、そこは忘れ難い、心した。

  ポルトガルと日本を隔てる距離は、我々にあなたの重要性を忘れさせてしまうほど大きいものです。ポルトガルで生まれなかったポルトガル人であり、粗野な英語圏の人々には真似が出来ない、原初的なポルトガル語で歌うあなたが、いったいどのようにしてこの地理的な距離に耐えているのかを考えると感動します。多分、非常に豊かな感性に支えられているのではないでしょうか。

  近況をお知らせください。そして、私からの贈り物を贈ります。
私は、あなたの歌に恋をした傾聴者であり、批評家です。そして、私たちの文化遺産を熱心に守りたいととも思っています。
このショールに縛られたあなたの手にキスを、(この題名のファドを友人のファディスタ、ジーナ・ゲーラが録音をしています。)
そして、敬意と友情をこめて、

                           ジョアォン・カルロス・テーレス・アフォンソ




 7月7日三裕の館でのライブを終え、いつの間にか日課になってしまっていたファド倶楽部のホームページを開いても、何も出てこない。予告どおりホームページは消えてしまった…。眠れない夜が続いた。そんなある日、ポルトガルから分厚い手紙が届いた。A4の紙3枚に裏表びっしりと手書きのポルトガル語で埋まっている。まず、アルファベットの解読からしなければならない程の個性的な文字を私の目はひたすら追ったびっしりと文字の詰まった手紙は、結構批判的な内容が多かったし、その頃精神的に打ちのめされていたせいもあって、何時批判を浴びせられるか不安が先に立った。

 一ページ目を読み終えない内に、私は両手で顔を覆い泣き伏してしまった。日本人同士でありながら、気持ちの通じない事が多いのに、ああ、ポルトガルにこんなに私の歌を愛してくれている人がいるのだ。10年も前に聞いた声を覚えていてくれる人が…。 はるかポルトガルの地にいきる人が、東洋人の月田秀子の唄をどういう思いで聞いているのか知って欲しくて、大使館の日置氏のご厚意で訳していただいたものを掲載させていただきました。送っていただいた詩に関しては、判読できない文字もあったりで、今回は掲載を見あわせさせていただきます。

  早速「ファド・メノール」と「私の憂い」2枚のCDを送った。 その後間もなくして、サンジュスタのエレベーターを昇った展望台からリスボンの町並みの彼の版画が送られてきた。額を買いに行くのもまどろしくて、ありあわせの額に入れられたその絵は、ちょっと窮屈そうに額に収まり、いまでは毎日私を見守ってくれている。お陰で、丘の上に立つサンジョルジュ城とその下に広がるリスボンの家並みを見下ろしながら、町の喧騒を聞くことも、その上に広がるリスボンの抜けるような青い空を仰ぎ見ることも、いとも簡単にできるし、突然降りだすあのバケツをひっくり返したような大雨にびしょ濡れになることもある。その版画と共に送られてきた手紙には、CDへの賛辞と共に、詩の誤りも指摘した上で、わからないことがあれば何でも尋ねてくれ、日本で悪戦苦闘している秀子に喜んで手助けをしたいと書いてあった。
「Obrigada」(ありがとう)を繰り返すしかない語学力のなさが、何ともまどろこしい月田です。(月田秀子)

©TSUQUIDA HIDECO FADO CLUBE 2005

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