INTERVIEW



インタビュアー 京都市職員労働組合 池田 豊氏




<竹田の子守唄を聴いたアマリアは・・・>

池田


「はじめまして。実はだいぶ前に月田さんを紹介する新聞記事を見てCDを手に入れて以来、ひそかにファンを自認していたのですが、ライブは昨年末の京都の「巴里野郎」で聴いたのが初めてでした。マイクを通さない生の声が魅力的で、ストレートに魂を揺さぶるような歌だと、改めて感動しました。」

月田

「ありがとうございます。」

池田

「たまたま私はファドを知っていたのですが、一般的にはマイナーな音楽ですよね。少なくとも私の周りで知っている人は一人もいませんでした(笑)。」

月田

「そうですね。音楽の現場にいる人でも、知らない人が圧倒的に多いような状況ですから(笑)。」

池田

「ファドって何?」と聞かれたら、月田さんはどのように答えられているのですか。」

月田


「一番簡単に言うと、フランスならシャンソン、アルゼンチンならタンゴ、アメリカならブルースといった、それぞれの国で生まれた音楽があって、ポルトガルにはファドがある、ということですね。ただ、日本だと何に当たるのかと言われると難しいんですよね。演歌とも違うし…。ただ、アマリアは、私が歌った「竹田の子守歌」を聴いて、「ファドだわ」と。」

池田

「あのアマリア・ロドリゲスが?」

月田

「ええ、彼女が亡くなる八か月前の九九年二月に、彼女の自宅でお会いしたときのことです。」

池田

「竹田の子守歌」は日本の民衆の間で歌い継がれてきたものですよね。それが七〇年前後のフォークブームのなかで発掘され広がりました。」

月田

「ファドもルーツをたどると、ポルトガルの港町リスボンの下町の、娼婦とか下層の人びとが集まるところで生まれたものです。いまでも小さな居酒屋に行くと、煙草の煙がムンムンしているようなところで、年老いた人がギターを弾いていて、誰かがファドを歌っている、という感じですね。」


Photo by OBATA



〈暗闇の中から光を見つけようとする逞しさ〉

池田

「月田さんのファドを聴くと、暗い感じの歌なんだけれども励まされるというか、意気揚々…というところまではいかないまでも「もうちょっと頑張ってみよう」という気になるんですね。」

月田



「そう感じてくださるとうれしいですね。私が最初に聴いて衝撃を受けて、私もこんな歌を歌いたいと思ったのが「暗いはしけ」という、漁に出たきり戻らない人を待ち続ける女の歌なんです。自分の愛する人を失っても生きていかなければならない…。そんなやり場のない悲しみを歌っているのですが、ただ嘆くだけじゃなく、闇の中で必死に目を凝らして光を見つけようとする人間の逞しさが、この歌にはあるんです。」

池田

「独裁政権に抵抗するような歌もあるんですね。」

月田



「いくつもありますよ。たとえば「置き去り」という歌はサラザール独裁政権下で禁止されていたんですね。「あなたが消えたのは夜だった。暗いくらい夜だった。あなたの名を呼ぶ私の声は、あなたには聞こえない」と、秘密警察に連行された人をしのぶ歌です。「吹き過ぎる風のバラード」という歌は弾圧を避けてフランスに逃亡せざるを得なかった詩人の歌で、「いつどんな時代にも自由のために戦う人がいる。闇の中に灯を点す人がいる」と歌います。」

池田

「だから悲しみを歌っていても、背筋がシャンとなるというか、逞しさ、強さを感じるんですね。」

月田



「五木寛之さんが「悲しみから目をそむけるんじゃなくて、悲しみをじっと受け入れていく」と表現してくださったんですが、私もその言葉で「ああ、そうなんだ」と思いました。人は、悲しみが自分だけのものではないことを知ることによって強くなれます。ポルトガルの人びとはファドを聴き、悲しみを受け入れ、共有することで、生きる力を得てきたんだと思いますね。」

池田

「そう言えば、五木寛之さんや亡くなった黒田清さんが月田さんの応援を買って出てくれているんですね。」

月田



「ええ、もともとお二人ともファドが好きでアマリアのファンだったんです。五木さんとは五木さんが主催する「論楽会」に招かれたのが縁で、黒田さんとは番組でご一緒したのが縁です。九三年に「月田秀子ファド倶楽部」というのを立ち上げたのですが、黒田さんにはその会長を引き受けていただきました。お願いすると、「ああ、いいですよ」って、あの優しい顔でおっしゃってくださったんです。」


Photo by OBATA



〈「自分の旗」を求めて〉

池田


「黒田さんは本誌のこの欄にも登場いただいたことがあるのですが、長生きしてほしい人に限って早逝されてしまう…。ところで、ファドの素晴らしさもさることながら、月田さんの一人の女性としての生き方もドラマティックですね。立命館大学に入ったのも大学紛争に興味があったからだったとか(笑)。」

月田




「父親がメーデーに行ったり、「赤旗」日曜版を読んでいるような人だったんですよ。その影響なのか、小さい頃から「結婚して妻となり、子どもを産んで母となり」というような姿って、自分のなかには描けなかったんですね。立命館に行ったのも、ちょうど七〇年安保の時で、どうして彼らはあんなに叫んだり、直接行動に出たりするのか、何が大学で起きているのか、それを知りたいと思ったんです。まあ、行ってはみたものの授業はほとんど出ず、少数派のヘルメットをかぶって…という生活でした(笑)。」

池田

「で、中退してしまった(笑)。」

月田


「大学でなくとも生きていくなかで学べばいいと思いましたし、「自己否定を言いながら何で大学にいるのよ」みたいな気持ちもありましたし(笑)。とにかく自分が自分らしく生きるにはどうしたらいいのか、という模索をズーッと続けていました。何かの旗の下にくっつくんじゃなく、自分の旗を掲げる。その旗を掲げるのは自分でしかないと――。」

池田

「すごい言葉ですね、自分の旗を自分で掲げる――。その後、演劇を始めたり、働きながらシャンソンを始めたりしながらファドに出会い、パッとポルトガルに渡ってしまう。それが確か三〇代半ばのことですね。」

月田



「三六歳のときです。シャンソンの世界って、いろんな人間関係があって、そのなかで金魚のウンコみたいにくっついていくのが嫌だったんですよ(笑)。その矢先に「あなたの声に合っているよ」とファドを紹介されて衝撃を受けたわけですが、「これはまだ誰もやってない」というのも大きかったですね(笑)。珍しいから注目されるだろうとかじゃなく、誰もやってないから、自分の世界を自分の足で構築できるんじゃないかと思ったんです。」




〈何したって生きていけるから〉

池田


「今、まさしくファドという「自分の旗」を一人で掲げておられるわけですが、マイナーな存在なままですよね。CDも出しておられますが、あくまで小さな会場でのライブが中心です。このあたりの感覚が、私ら勤め人には理解しがたいというか(笑)。」

月田




「メジャーになりたいとは思わないんです。「売るために」と自分を殺したりするのが嫌、というか面倒くさいというか(笑)。そもそも、高度成長時代を生きた男性たちは、みんな「明日こそ」と今を我慢して、つんのめり状態で歩いてきたでしょう。私はその姿を見て、「今が大切なのに何で?」と思ってきたんですね。お金なんて無くても生きていけるんですよ。お金というのはそれを使って人が喜んでくれるのがうれしいわけであって、持っていたって仕方ないと思う。そんなふうに考えたら怖いことありません。何しても生きていけるって思うんですね。」

池田

「リストラ・大失業時代の今、何したって生きていけるという月田さんの言葉は説得力がありますね。」

月田

「金のために必死になってきた人たちが淘汰される時代ですが、ただ、そのあおりを受けて、つつましく生きてきた人たちまでが転落させられている時代でしょう。そのことを考えると何も言えなくなってしまうんですね。」

池田

「そうですね。でも考えてみると、悲しみの淵にいる人びとを「あなただけじゃないんだ」と勇気づける月田さんの歌は、今の時代にピッタリあってますね。」

月田




「私自身、これでいいのかなと迷ったり、何でこんな生活しかできないんだろうと思ったりもしてきました。そんなときに「あっ、自分は一人じゃないんだ。苦しいのは自分だけじゃないんだ」と感じさせてくれる音楽がほしいと思うんですね。それは元気のいい音楽じゃなくて、悲しくてどうしようもない音楽のほうが反対に自分を励ましてくれると思います。孤独とか死とか、人間の陽の当たらない部分を見ることで、同じ時代に生きている人と連帯するというか、誰かと握手したり抱き合いたいと思うのだと思います。」


Photo by OBATA



〈けっこう、京都、いいなあ〉

池田

「少し京都のことなどもうかがいたいのですが、巴里野郎でのライブでよく来られるんですね?」

月田

「よく行くんですが、この前、京都書院を探したらないじゃないですか。確かここにあったはずなのに、という感じでウロウロしました(笑)。大阪と巴里野郎との往復だけで、今の京都ってわからないんです。」

池田

「そうでしたか(笑)。昨年、確か三条のアートコンプレックス1928でコンサートをされましたね。」

月田

「ええ、いつも巴里野郎に来て下さるファンの方が中心になって企画して下さって、京都でのコンサートは初めてでしたが、会場がいっぱいになったんです。初めてファドを聴くっていう人がたくさんいらっしゃったと思います。」

池田

「手応えはありましたか?」

月田


「コンサートに来て下さった方が、「同窓会をやるんだけど…」と声をかけてくださって、出かけていったらまたそこで聴いて下さった方が声をかけてくれて…という感じで広がっているんです。京都ってケチだと思ってたんですが(笑)、自腹切ってでもやるからと言ってくれたりして、けっこう、京都、いいなあって感じですね。」

池田

「確実に広がっているんですね。最後に、これからの目標、夢を。」

月田







「ファドってきれいな声でなくても、歳いってしわがれた声でも味のうちになって説得力をもっていくんです。だから自分の声が出る限りは歌い続けたいですね。で、歳いって声が出なくなったら、後進を育てたいという気持ちもあります。いまは「ファドやりたい。教えてくれ」って言われても、すべて断っているんですね。ファドって、その人がファドをどう感じて、自分の声でどう表現するのかだと思うから、教える教えられるという関係ではないと思うんです。でも、どうやっていったらいいか分からないという若い人がいたら、後押しすることはできると思うんです。」 「それと、まあ夢というか、最後の最後には、私は小さな酒場の女主人。薄暗いところでね。客はみんな歳いっていて昔の私も知っている。そんなところへ客がきて「今日、あいつが死んだんだよ」「まあ、一曲歌ってくれや」と。私は「じゃあ」なんて言いながら一杯飲んで、おもむろにギターを取り出してファドを歌う……みたいなのが夢ですね(笑)。」

池田


「なかなか素敵な場所ですね(笑)。今、労働組合の旗のもとに集まれなんて叫んでも、簡単には通じない時代です。月田さんのような自分の旗を持つ人たちに、連帯を呼びかけるような組合のあり方を追求すべきだなあと、本日のお話を伺いながら考えさせられました。」

月田

「そうそう、そのためにはもっと風通しをよくしないと、みんなの旗がはためかない(笑)。」

池田

「うまい(笑)。本日は楽しいお時間をありがとうございました。」

「ねっとわ〜く京都 」 2002年3月号 より


写真・記事の無断転載を禁止します。 ©TSUQUIDA HIDECO FADO CLUBE 2005

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