"アマリアなしでは、私は何者でもない"
  sem Amalia Rodrigues nao sou ninguem



 カジノ・エストリルでの「水曜の夜のファド」の、非業の死を遂げたカルロス・ゼルの最後の招待歌手。それは、ポルトガルの心を持ち、それゆえにわがカモンイシュの言葉でもってファドをを歌う日本人だった。


 月田秀子が、友達の間ではデコと親しみを込めて呼ばれているそうだが、ファドそしてアマリア・ロドリゲスの歌声を初めて聞いたのは1982年のことだった。「それは、私の友達の一人がアマリアのレコードをプレゼントしてくれた時のことだった」。それを聴いた時、彼女はそのメロディーに、心打たれた。「意味もわからないのに、その声は、心の深い底から響いてきた」。と彼女は告白した。それは、一目ぼれのようなものだった。


二年後、生まれた町東京を後に、リスボンへと向かった。「それはファド、そしてアマリア・ロドリゲス(後に出会うことになるのだが)を求めての旅だった。様々なファドの店へ行った。ポルトガル語をよりよく知る為でもあった。けれど、アマリアのようなファドはなかった。そのように思えるファドを聴くことはなかった。私は悲しかった。なぜなら、私が聴いたファドは、どれも、あまりにも吠えるだけのものだったから。わめくようなファドには私は耐えられなかった」。と彼女は語った。


 1986年、ファドに出会う前まで歌っていたフランスのシャンソンとポルトガルの魂を交えたコンサートを日本で開催した。「とても緊張したけど、何とかやり終えた。そういえば、コンサートの時、緊張するのはいつものこと」。1987年から一年間、リスボン大学の外国人向けポルトガル語学科に通う傍ら、ファドの世界に親しむためにリスボンに移った。




《ファドはどこに?》


 彼女の歌を聴く典型的な聴衆を知れば知るほど、デコはアマリアのファドはどこにあるのかと自問自答するようになっていった。「私の心をとりこにしたファドは一体どこにあるのか?伝統的なファドや、純粋なファドというものが存在することを、今なら解っている。それらは違うもの。純然たるファドは、リスボンのアルファマ、バイロ・アルト、ビカ、マドラゴア、そこに住んでいる人たちのもの。私はポルトガル人でもなければ、そこに住んでいる人間でもない。だから、純然たるファドを歌うのは難しいことなのです」。そう説明した。


 1988年、旅先のアルガルヴェで、ラウロ・シルヴァに出会い、その後、彼はデコに関する大きな記事の影の立役者になり、そのことはRTP制作のテレビ番組「ジャ・エスタ」出演、アマリアとの会見、「ファド大祭典」を始めとする様々な催しへの出演へとつながっていった。それによって、フランスのシャンソンを捨て、彼女は、魂と心をファドに捧げることになった。


 以降、秀子は、日本とポルトガルの間を行き来することになる。「ポルトガルへは、何度となく足を運んでいます。たぶん平均して、一年に一回は来てるかしら」と彼女は思い起こすように語った。ラマロ・イエネス元大統領、カヴァコ・シルヴァ元首相、メロ・ゴウヴェイア元駐日ポルトガル大使といった名だたる招待客の前で歌った後の1990年、「サウダーデ」というタイトルの一枚目のCDを録音した。「ファドを録音している時、心が熱くなってゆくのを感じる。どう説明したらいいのか、私の中に棲んでいる悲しみを感じる。ファドを歌うことで感情や感覚が掻き立てられてゆくの。歌っている時、魂の中で私はどこへ行こうとしているのかすら、解らないのです」。と彼女は心の一端をのぞかせた。




  《説明できない悲しみを感じる》


 月田秀子は、東京とリスボンを行き来するこの十年間を、コンサート活動、レコーディング、そして、世界のどこにもないこの音楽を普及するために過ごしてきた。「サウダーデ」に続いて、「ジャンジャンライブ(1993年)」「ファド・メノール(1995年)」「私の憂い(1997年)」「ありがとうアマリア(2000年)」のCDを録音した。


 52年前に日本に生まれたファド歌手は、はにかむようにこう語ってくれた。とてもはにかみながら。しかし、終始ポルトガル語でのインタヴューと会話に、全身全霊で答えてくれた。彼女自身の歌うアマリア・ロドリゲスのファドを聴きながら彼女は泣いていた。ずっと。そして「説明できない悲しみを感じるの」。としみじみ言った。


 秀子は、ファドの伝統は若い世代の歌手によって受け継がれてゆくと確信している。「素晴らしい声を持った若いファド歌手達がポルトガルにいることは事実です」。と念を押した上で、こう強調した。けれど、ファドの女王に匹敵する歌手はどこにもいない、と。「アマリアなしでは、私は何者でもない」。そしてこう締めくくった。「私には、いまだに説明できないのです。私の心を占めているこの感覚について。アマリアの声は、私の心の奥底まで響き渡る。彼女の声は、強く、活力に満ち溢れ、想いを私に伝えてくれるのです」。




≪カルロス・ゼルの最後の夜≫


月田秀子は、さる13日のカジノ・エストリルでのカルロス・ゼルの「水曜のファド」の最後のゲスト歌手となった。彼はカジノのアートガーデンで毎週水曜日開かれるコンサートの立役者として、毎回様々な歌手を招待してきた。その夜、カルロス・ゼルは歌うどころではなかった。≪気管支の具合がなんとも悪くて歌えない≫と、コレイオ・ダ・マニャン紙の記者にもらしていた。その数時間後、彼は、全ての報道のとおり、肺気腫が誘発した呼吸不全により、自宅で亡くなった。


「Magazine Domingo」(Correio da Manha 2002年2月24日発行)掲載記事より

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