INTERVIEW

わたし が みつけた わたし の しごと

 

森まゆみ



ファド歌手は下町出身




今回は、私の好きなファドを歌い続けていらっしゃる月田秀子さんを訪ねて、東京にあるご自宅のスタジオにやってきました。最近まで、ずっと大阪に住んでいらっしゃったんですが、生まれはどちらですか?

月田

「東京、北区の田端。産院は町屋で……。


わー、私が育ったあたりと目と鼻の先。

月田

たとえば荒川。小さいとき、母に背負われて川べりを歩いたんじゃないかという、ぼんやりとした記憶が、どうかするとふっと蘇るんですよ。

オバケ煙突とか、東京スタジアムとか。

月田

そう!オバケ煙突とか、小竹橋とか、そして土手があって、よくそこへ魚を釣りに 行きました。母にしかられると、よく「おまえは、小竹橋の下から拾ってきたんだよ」といわれたの。

うちの母もそういってました(笑)。千住大橋の下とか。荒川出身の歌手といえば、倍賞智恵子さんが いますね。

月田

ええ、「下町の太陽」歌ってましたね。

どんな子どもだったんでしょうね?

月田

子どもの時は非常に活発で、そそっかしくて、外向的で、かなり目立つ子だったんです。

そのころから、歌手になろうと思われて?

月田

正直にいうと、小学校のころ音痴だったんですよ。高校のころは母に「あんた、絶対人前で歌っちゃ いけない」といわれていましたし。

大阪には早い時期に?

月田

高校から大阪です。そして、昨年、35年ぶりに東京へ戻ってきました。



ある日ファドに開眼して即リスボンへと

月田


20代のころ芝居を始めて、次に一人芝居の要素が強いシャンソンに惹かれて、7年ほど歌って いたんです。ところがある日、アマリア・ロドリゲスさんのファドを聴いてファドに目覚めて、何が何でもリスボンへと心が逸り、アマリアさんに会いに行ったんです。

アマリア・ロドリゲスさんに会いたい一心でリスボンに行ってしまわれるなんて、かなり直情径行ですね。

月田

そうね。あまり考えないで行動する方。その時「やりたい」という思いがあったら、なんとか切り開いていけると思ってるので。

ポルトガルでは大学で語学の勉強をされて、歌も習ったのですか?

月田

それが、習ってないんです。

じゃあ体で風を感じ、よく聴いて・・・。

月田

教えてくれる人を探して回ったのだけど、「あなた、聴くしかないわよ。私だって聴いて覚えたんだから」といわれるだけで。

ファドの楽譜はどこで手に入るのかしら?日本にはないですよね。

月田

ありません。私ドレミがわからないから、ピアノを弾く人に楽譜を起こしてもらうんですが、楽譜に起こせない微妙な節回しがあるから難しいようです。

レッスンプロがいるわけじゃないんだ。沖縄では三線教室は、たくさんありますけれどね。

月田

ファドは教えるものでも、教えられるものでもなくて、「やりたいんだったら、とにかく向こうへ行って、感じておいで」としかいえないです。

日本でほかにファドを専門に歌っている方はいないんですか?

月田

ファドだけを歌っている人は、まだいないですね。シャンソンのレパートリーの中に入れてる人は いますが。

で、ファド歌手として立つには?ライブはどのようにして始めたんですか?

月田


ファドを学んでポルトガルから帰ってきた時は、「やっていける」という自信はとてもあったのに、歌う所がなかったんです。京都のシャンソニエ(シャンソンのライブハウス)一軒だけがファドを歌わせてくれて、そこでは今でも続けて歌っているんですよ。

ファドだけという場所はないのですね。 私恥ずかしいんだけど、昔「銀巴里」のシャンソンのオーディションを受けたことがあって。

月田

ええっ、森さんが?歌うの?



ええ、若いときの話ですが。でも、「あなたの顔はシャンソンに向いてない」といわれて、 落っこちちゃった。もともとクラシック。今もシャンソニエは多いのかしら?

月田

かなりたくさんあるようだけど。私はやはりファド一筋、一匹狼で行きたいなと、それにこだわってます。




民衆に息づくファド、ライブが最高

私も大ファンですけど、アマリア・ロドリゲスさんに会った時は、かなりなお歳だったんでしょうね。

月田

初めてアマリアさんを訪ねて楽屋に行った時、待っていると後ろの方におばさんがいたのだけど、 それがアマリアさんだとは気づかなくて(笑)。


でも、歌い出すとオーラがあって・・・・・・。

月田

ええ、歌い出すと全然変わりますね。 近寄りがたい感じでした。人間の悲劇を全部背負っているような表情になって。

ポルトガルには、ファドを歌うプロはたくさんいるでしょう?

月田


いいえ、そうじゃないんです。ファド歌手としてはほとんど食べてゆけないし、プロだと毎日歌うから マンネリ化して、聴かせてやるという感じになりがち。素人で、本当に好きで歌っている人がたくさん います。 そちらの方が心を打ちますね。

町の中に、そういう素人が歌える場があるということが素敵ですね。いいなあ。

月田

私がファドでいいと思うのは、マイクを使わないで歌うこと。小さな場所で歌うので、マイクなど使う必要がないのね。




テレビの番組(「リスボンへの道」NHKで2000年7月放送)の中で、飛び入りで歌われたでしょ、まるで町の人のように。全然違和感がなかったですね。

月田

向こうの人の歌は、もっと素朴なのね。

なにか微妙な節回しがある。あれは、身についているみたいですね。

月田

そうそう、あれが聴かせどころといったところ。でも、私はああいう小節はできない。なんか小手先で つくったようで、小節が好きじゃないの。ストレートに声を出すのが好きなんです。

それにしても、ファドは短調が多いですね。“哀愁の”というのかな。

月田

でも、リスボンへ行くと、それほど暗い感じではないのね。めそめそと自分の内にこもるというのではなく、「私は悲しい!」と叫ぶような。 だから、日本人が感じるような悲しさとは違う。

爽快な悲しさ?

月田

潔さというか。


故・アマリア・ロドリゲス(左)とリスボンで(1988年)



私は私のファドを歌う

月田

7年前の五木寛之さんとの出会いが、結構大きいんですよ。

最初、五木さんの方が聴きにいらしたの?

月田

いえ、最初は私のCDを聴いてくださって、それでご自分の「論楽会」(朗読と対談とコンサートの会)に呼んでくださったんです。 「10年は一緒にやろう」といってくださっていて、昨年初めて、東京・札幌・大阪で二人のジョイント コンサートを開いたんですよ。

ぜひ行きたかったんですが、チケットが完売だったとか。

月田





私の中でも五木さんの存在意識は大きいです。五木さんが書いているテーマが、ファドが訴えかける ものと似ている。 それと、五木さんと言葉を交わすと、私の考え方が整理されるんです。 五木さんが「月田さんは何を歌ってもファドになる」っておっしゃるんだけど、反対に「ファドって何」と思ってしまいます。
切々と悲しみを歌っていくのがファドだとしたら、私は歌い続けていけるかもしれないですね。 向こうへ行くとわかるけれど、ファドにもいろんなファドがあって、私はその内の一部を聴いていて、 自分のものにして歌っているにすぎない。
私は私のファドを歌うしかないと思っています。


「五木寛之・月田秀子ジョイントコンサート」で五木寛之氏と (2002年12月、ヤクルトホール) 撮影藤富樫 正



「サウダーデ」の心をこれからも伝えたい

ファドの代名詞ともいえる「サウダーデ」という言葉は、一度聞いただけで、すごく印象に残ります。

月田

そうですね。日本語には一言で訳せないです。「郷愁」でもないし。

ライブのビデオで聴いていると、ごく自然に何回も出てきて驚きましたね。

月田


確かによく使われます。過去に対するノスタルジーであるとともに、未来に対する願望、憧れ。 私には詩を書いたり、曲を作ったりする才能はないけれど、自分の思いを、たまたまその思いに似た 歌を見つけてきて、曲を借りて、歌っているわけです。私はただ媒体でしかないんじゃないかと 思います。

ライブなどこれからのスケジュールを。

月田


大阪・心斎橋「アート・クラブ」と京都・四条河原町「巴里野郎」のライブはこれまで通り続けます。 東京では、4月に新橋の「蛙たち」、5月に新宿「シャンパーニュ」でのライブが決まりました。 大切なのは歌い続けてゆくことなのです。 その中で少しずつファドのファンを増やしてゆけたらと思ってます。

地道な活動ですね。

月田

既成の大きな傘の下に入ることで自由を失うのが、いやなんです。

いずれにせよ、やりたくないことはやらない方がいいですよね。

月田


今まで何とかやってきたんだから、これからも何とかできる、と思うんです。私にとって歌うことは、職業というより「生きる」ということですから。 大きな仕掛花火ではなく、線香花火のように歌い続けたいと思っています。ファドは、そういう歌だと 信じています。

自宅スタジオにて 撮影:大西 成明



淡交社 なごみ 2003年4月号より

写真・記事の無断転載を禁止します。 ©TSUQUIDA HIDECO FADO CLUBE 2005

BACK